ベテラングラサンと熱血若造の狭間
私が購入した人生で一番高い買い物は、月並みですが車です。
運転免許をとったのは、高校生のとき。高校入学時から、金銭面や学力に自信がないのもあり、大学に進学するのではなく社会人になってすぐ働きたいと思っていましたので、免許取得できる年齢になるとすぐに自動車学校に行きました。
『オートマとミッション、どっちにしますか?』と聞かれ、ちょっと迷ったけど現場仕事をすることも無かろう...とオートマチックを選択。(その後しばらく経ってガテン系の職に就くのをこの時はつゆ知らず)
通っていた車校は、私にとって色々な意味で大変思い出深いところでした。
長かった学科の授業が終わり、いざ乗車のとき。
当時は先生を指名できる制度があったのですが、『話しやすいな、いいな』と思った先生は 当然他の方も好感をもっているもの。その先生を指名して空きの時間に教えてもらうとなると、待ちの時間が必ず発生していました。
同時期に入校した顔馴染みの方たちは、指名なんてせずバンバン乗車し、すぐに車校を卒業していきました。
でも私は「自分の癖をわかっている先生に、悪いところを徹底的に正して欲しい」という謎の真面目さから、先生を指名しようと思っていたんです。
さてどの先生にしようか...と思っていたところ、声をかけてきたのが50代と思われる、どう見ても見た目ヤ〇ザな濃いグラサンをかけたイカついオジ様教員。
『えっと、〇クザの方ですか?』と問いたい気持ちを抑え話しをしてみると、意外と真面目でいい人そう。
『私は経験豊富だし、若造の先生たちとは違うのよ。しっかり教えてあげるから!』との言葉を信じ、そのグラサン教員を指名することに決めました。
ベテランの車校教員だけあって、グラサンはとても厳しかったです。
『今のブレーキは遅すぎる』『もっとスピードを落としてから曲がりなさい』と毎度容赦なくダメ出しをされましたが、正しい運転の仕方を叩きこんでくれてるんだ、と私は必死に応えていました。
でも.....
ずっと指名を続けていくうちに、だんだんと様子がおかしくなってきました。
『さっきのブレーキの仕方はとても良かったよ』と褒められることも増えてきたころ、何とはなしに、私の太ももをポンポンと触るようになりました。
現在はどうかわかりませんが、当時は車内は教員とマンツーマン。ポンポンどころかガッツリ太ももを触ってくるようになっても、誰も見てくれていない密室空間です。
18歳の私は、ショックでした。
濃いグラサンに昔の名残を感じるやや控えめなパンチパーマ。誰もが『この人浮いてんな』思うオジ様でしたが(指名するなよ自分)、厳しくも真面目に教えてくれると思っていたのに...。
友だちと一緒に入校したわけでもなく、この時はまだ仲の良い人もいなかったので、誰にも相談できませんでした。(その後仲良くなる女性がいますが、この女性についての話も長くなりますのでまたの機会にいたします)
自動販売機が並ぶ休憩所で私が落ち込んでいると、若い教員が気にして話しかけてきてくれました。
その若い教員は、最近この自動車学校にきた熱血タイプ。曲がったことが嫌いな性格だそうで、私はグラサンにされた行為を、思いきって熱血兄さんに打ち明けました。
すると、熱血兄さんが激怒。見るからに『この人怒ってますー!』という歩き方で、プンプンという吹き出しをつけながらグラサンに向かって怒鳴り込みに行きました。
そんな大胆なことをすると思っていなかった私は、あわあわしながら後をついていったのですが、若造に怒られても何とも余裕な表情のグラサン。
事務所前で大声でグラサンを注意してくれたのですが、他の職員たちも知らん顔...30オーバーの今ならわかります、面倒なことに巻き込まれたくない気持ちもね。
ただ、熱血兄さんが最後に『もうこの生徒さんは僕が受け持ちますので!!』と言ってくれた一言で本当に救われました。それから指名を熱血兄さんにチェンジし、もちろん一切セクハラをされることはなくド真面目に授業を受け、無事車校を卒業しました。
自動車学校では熱血兄さんに会えるのが、楽しくて楽しくてたまりませんでした。たぶん、恋をしていたんだと思います。
『好きです』なんて 自信も無いし口が裂けても言えませんでしたが、『お世話になりました』と気持ちだけの菓子折りを渡してさようならした記憶があります。
最後に乗った車校の送迎車の中から、熱血兄さんをぼんやり見ていると、向こうも気づいてくれて、笑顔でバイバイしました。淡い青春の思い出です。
秒で購入した人生で一番高い買い物
就職で役立てるためにとった運転免許ですが、一番最初に勤めていた会社はバス通勤...いち早く免許を取ったものの、車を購入してなかったので『バスで行けるならバスでいいじゃん』と一切車に乗らず、5年もの時が経ってしまいました。
その会社では一事務員でしたが、途中配属された意味の分からない上司のおかげで段々と労働環境が深夜までになり、挙句の果てに『三六協定で残業代が出せない』と言われ会社に見切りをつけました。
有給などを使って休んだり半休をとったりしながら就活をし始め、1つの会社から『ほぼほぼ内定で、是非うちに来て欲しい人材だ』と言ってもらえました。
面接の時もとても好印象でしたので『もう辞めて良いっしょ』と勤めていた会社に退職届を出し、早々に退職しました。
ところが、、、、、
数日後、入社したかった会社から「不採用」の通知がきて、全身が固まりました。
いやもう、退職してもうたやーーーん。
どうしても不採用の理由を聞きたかった私は、面接をしてくれた責任者の方の名前を覚えていましたので、直接電話でたずねました。おたくに入社したかったので大変残念ですと伝え、もしよかったら理由を聞かせて欲しいと言うと
『あなたでほぼ決まっていたのですが、あとに面接をしたひとりの女性が、私には生活がある!と入社したい意欲が凄まじかった』
と言われました。
おひとりで子どもさんを育てていて、致し方なく前職を失い、もう絶対あなたの会社に入りたいんです!の気持ちが熱く、そこで判断されたと...
まぁ、理由が本当かどうかはわかりませんが、私は晴れてプー太郎になりました。
もうどうにかして就職しないと!!と焦る私は、雇用保険料をもらうことなく次の職場へ。
採用が決まった新しい職場は.....
絶対に、車でないと通えない工業地帯(笑)。
当時付き合っていた彼に『そんな不便な職場を選ばなくても...』と心配されましたが、車買う気満々で向かったのは よく見る中古車センター。1度新車を買おうかと車メーカーに見積もりに行きましたが『高過ぎて無理無理ー!』となったので、中古車で十分と思いそこに決めました。
中古車センターに入り、『軽で、なるべく走っていない車で安いのがいいです』とざっくりと伝え、探してもらった車の中で女の子らしい車を発見して
『これにします!!』
と即決。
『えっ?!』
と重なる彼氏と店員さんの声。
秒でその子に決め、薄給ながら頑張って貯めてきたお金から何十万か前払いをし、手続きをし終えて帰りました。
そんな平成十何年式の古い愛車とも、もうすぐお別れの時がきます。
別れ
軽自動車税も高くなりましたね。
最初は7千なんぼしか払っていなかったのに、1万を超え、古い私の車はついに約1万3千円に.....
それに加え 任意保険料に高騰するガソリン代と、車を維持するだけで結構なお金が飛んでいきます。
以前ブログで愛車の調子が悪いことがあったとお伝えしましたが
それをきっかけに「そもそも我が家に本当に2台車が必要なのか?」と パートナーと話し合いをしました。
我が家の家計はパートナーが支えてくれています。私も在宅で仕事をしていますが
私の手取りは少なく、稼げて数万です。車の維持費や自分の積み立て費用、携帯代などなど固定費を考えたらどう見てもマイナス。
自分の母親が体が弱いので、どうしてもちょこちょこ実家に寄らなければならず、今まで愛車を手放していなかったのですが...話し合いの末、もう1台にしてしまおう!と決意。
となると、もちろんパートナーの車をふたりで使用して、私の愛車は廃棄になります。
そんな話し合いをした数日後、仲良しの車屋さんから電話が。
内容は別件だったのですが、『我が家の軽のほうを手放そうと思ってて...』と話すと
『えぇ!!今ちょうど、動けばいい軽自動車が欲しいって人がいるのよ~』と言われ、なんてグッドタイミングなんだー!!と思いました。
ほんとにあの車で大丈夫?と確認しましたが『うん、動けばいいから!』と(笑)、5月末に支払った軽自動車税代も受け持ちますよと言ってくれ、私の愛車の寿命が少し延びたようです。
ただ.....付き合っていた彼氏や友だちたちと、本当にあちこち行った私の愛車。
オンボロだけど、思い出がたっくさん詰まった愛車に、手放したくない気持ちも少~しだけあります。
でも、引き渡しの日にちは刻一刻とせまっています。
当日は、車屋のおっちゃんが引くくらい涙がでるかもしれません(笑)。今のうちに写真をいっぱい撮っておこうかな...
秒で購入した人生で一番高い買い物、私の愛車。
たくさんの思い出をありがとう。
(長々と読んでいただき ありがとうございました^^)
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今週のお題「人生で一番高い買い物」